創業理念は、ありませんでした
インターアクティブ有限会社は、わたくし小笠原が、30歳のときに創業しました。
どうして創業したのか?というと、答えはシンプルで、マーケティングを、やりたかったからです。
創業理念という高邁な思想は、正直なところ、ありませんでした。
やりたいことを、やるために、創業したのが本当のところです。
大学を卒業して就職した業界が、全国規模の広告代理店でしたから、マーケティングの面白さは知っていました。
しかし、扱う媒体や、業態によって、偏りが生じてしまうのと、
食品なら食品、製造なら製造で、一つの業界に身を置いてしまうと、マーケティングを広く、深く、体験できなかったため、フリーで独立しました。
顧客ゼロからのスタートでしたが、紹介に次ぐ紹介で顧客に恵まれ、順調に仕事が入り、翌年には会社を設立しました。
小さな会社の社長の仕事は、営業でした
忙しかったけれども、やりたいことをやらせてもらえて、楽しかった日々。
しかし、フリーではなく、会社となると、やりたい仕事を、自由にやるだけでは済まなくなりました。会社は、売上を伸ばし続けなければ斃れよう斃れようとする生き物だったのです。
とにかく、会社は、カネ食い虫で、フリーの時ならば充分だった売上では、会社を維持できませんでした。
設立してみて骨身に沁みたことですが、資金という栄養を注入し続けなければ、死んでしまいます。これ即ち、倒産。
それも、去年より今年、今年よりも翌年と、なぜか栄養の注入量は増えていきます。それもそのはず、売上が増すに伴い、外注費も、諸経費も、税金も増えるからです。
そこで、やりたかったマーケティングの仕事は従業員に任せて、新規開拓の営業活動に力を入れざるを得なくなりました。
マーケティングという無形財は、誰にでも売れる商品ではなかったからです。
新規の営業は、楽しくありませんでした
東京で、新規営業を経験した方々ならば、お分かりになると思いますが、営業活動していると、冷たくあしらわれることが多く、とかく、心が折れそうになります。そんな時、
「営業マンになりたくて、マーケティング会社を興したんじゃなーい」
と心の中で啼きましたが、泣けど叫べど、月末の数字はシビアに迫ってきます。
支払いが滞れば、黒字であっても、倒産あるのみ。手形を割り引くわけにはいきませんので、現金がなくなったら、お終いです。電話代さえ払えなくなってしまいます。
なので、必死になって新規営業しました。
あらゆる営業活動の中で、新規の開拓が、もっとも難易度が高いため、そうして巡り会えた顧客だからこそ、顧客は、会社にとっての『無形財産』であり、苦労を重ねた末に商取引が始まるのですから、顧客の価値が、売上高よりも大きいのは、ご存知の通りです。
新規の営業活動は、こんにちでも営業の過酷さで有名な某社で、学生の頃にアルバイトで体験済みでしたから、臆することはありませんでしたが、それでも、連戦連敗の日々は神経を病みます。
もう、なんのために会社を興したのか、わからなくなりました。
会社…営業…顧客…毎日のように、突き詰めて考え続けました。
飛び込み、アポ取り、新規の訪問……それで成果が出れば良し、出なければ、一日中、休んでいたも同然。パチンコして遊んでいたも同然です。
「こんな非効率な営業活動で、いいのだろうか?」
「すぐに売れそうな先ばかり見つけようと探しまわる営業活動だから、見つかりませんでしたハイお終い…になってしまうんじゃなかろうか?」
講じ果てました。
いうまでもなく、営業活動は、契約のみ特化した時間配分が理想的です。
その理想を実現させる答えは、誰も教えてくれませんでしたし、探しても見つかりませんでした。
「答えは一体なんだろう?それとも、答えなんて、そもそも、ナイのかなぁ?」
売り込まない営業が楽しいなんて、知りませんでした
その頃です、接触営業という戦略構想が芽吹き始めたのは。
売れそうな先ばかり探して回る探索営業と、接触営業は、違う、と。
お客さんを探し回るのに時間を費やすよりなら、地道に接触して、落ちてきた熟柿だけ拾い集めれば、契約のみ特化した時間配分が可能になる!
それには、お客さんのタメになる営業活動を続ければいいんだ!
答えは、マーケティングという自社商品の中にありました。マーケティングで、最も重要なのは、顧客ですから、自分の為ではなく、顧客の為に営業活動すれば良かっただけでした。
お客さんの役に立つことのみ考え、売り込むことは考えない。とにかく、顧客の母数を増やすこと。
少ない母数に売り込むから、ストレスが貯まる。母数さえ多ければ、売り込まなくてもいい。
売り込まない営業が楽しいなんて、知りませんでした。
以来、次々と営業戦術を考え、試し、新しい顧客にも次々と恵まれて、マーケティングの本を出版する話まで頂くようになりました。処女作を出版してから、マーケティングの実務以外に、
「ちょっと相談があるんだけど…」という相談事が増えるようになりました。
- 「このパンフレット、どう直せばいいかな?」
- 「営業力を強化するには、どうしたらいい?」
- 「お店の集客力を、高めたいんだけど?」
- 「広告の反応が悪いんだけど、広告原稿、見てくれる?」
- 「リサーチって、どうやるの?」
等々いろいろなマーケティングの相談が舞い込みました。
最強の新規営業は、紹介でした
すべて紹介でしたから、断るわけにはいきません。一つ一つ丁寧に答えましたし、マーケティングの現場、叩き上げの回答だったためか、わかりやすいと好評でした。しかし、ほとんどが、
「そうか!そうすりゃいいんだ!やってみる、ありがとう」
の謝辞を一言いただくだけで、一円にもならず、商品であるマーケティングの実務は伴いませんでした。これではボランティアです(泣)
そこで、処女作の出版を機に、今まで培ったマーケティングの知恵と経験を武器に、コンサルティングを主力商品にすることにしました(従業員達は独立していきました)
本を読んでくれた読者さんからもコンサルティングの依頼が入るようになりましたし、コンサルティングの効果を実感したクライアントが、別のクライアントを紹介してくれることもありました。
創業理念が、できました
そのほとんどが、売上高が数億~数百億円の中堅中小企業でしたし、日本の企業の99.7%が中小企業ですから、それでいいと思います。
なぜなら、「大企業のマーケティング部や、大手広告代理店等のマーケティング局といったプロならば、知っていて当然の知識や知恵や経験則を、一般企業は知らずに、気づかずに、どうすればいいか悩み、苦戦している。
優秀なマーケティング担当者を雇用する人件費も、マーケティング局がある規模の広告代理店へ発注する外注費にも乏しいならば、自分がマーケティングを伝えよう。自分の他に、
- マーケティング会社を創立し
- 10年以上もマーケティングの実務に携わり
- 1,000以上のマーケティング現場を体験し、
- 接触営業戦略や手紙戦術等の独自理論を開発し、
- マーケティング書を著したプロ
いたとしても、講演やセミナー専門のコンサルタントではなく、現場で使えるような具体的なマーケティングを、わかりやすく伝えられ、
クライアントと一緒になって作戦を立てて、戦況に応じてアドバイスできるとなると、きわめて稀。ならば、自分だけにできることを、やっていこう」
と思ったからです。マーケティングの実務を請け負っていたインプットの頃が第一次の創業だったとすると、アウトプットする第二次創業期の始まりです。
創業理念は、アウトプット。マーケティングを広めることです。とりわけ、売り込まない営業を広めること。
私が死んだら、脳の中にある智識は全て消え失せます。だったら、生きているうちに、すべて出し尽くそう。
それが世のため人のためになって、価値と価格を交換できるのなら、男子の本懐ここにあり。そう考えるようになりました。
マーケティングを、広めていきます
それから更に十年が経ち、
- ビジネス誌の原稿を依頼され、
- 上場企業の広報誌から執筆の依頼を受け
- 全国の企業から講演に招かれ
- マーケティングのメールマガジンを10年以上も書き続け
- 理論の受け売りではなく、マーケティングの作戦を立てられる
という十項目を兼ね備えるようになりました。
コンサルティングといっても、コンサルタント業界の出身じゃありませんから、やり方なんて分かりませんし、
そもそも、コンサルタントなんて、人様の会社を指導するほど偉くありませんが、
他に分かりやすい呼称がないので、コンサルティングといっているだけで、
マーケティングに関してなら自信はありますが、それ以外は、何にも知りません。その程度です。
これからも、マーケティングを広めるべく、有償無償を問わずに活動していきます。なぜなら、それが、当社の企業展望に基づいた活動だからです。